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매거진 K문학

『建築か、革命か』

건축이냐 혁명이냐-정지돈

by 이은주

『建築か、革命か』

作家 : チョン・ジ・ドン

李玖は誰にもディラン・M・トマスとバロウズ、ヘンリー・ミラーを読むという話をしなかった。彼はシェークスピアやマーク・トウェーン、ナサニエル・ホーソーンを読むといったし、詩を書くとし友達に俳句を詠ずることもした。18篇の詩と『ジャンキー』、『北回帰線』は彼のベッドの下に隠されていたし浴室の収納キャビネットに隠されていた。


1957年、アメリカのすべての大学生はビートージェネレーションになったように振る舞ったし、さらに工大生さえギンズバーグとジャック・ケルアックについて騒いだ。李玖は彼らの話を聞いて微笑みを浮かべた。MITに四年間通ったが、大学の同級生は李玖が日本人なのか中国人なのか見分けがつかなかった。ある日一度私は大韓民国の皇族だ、と言ったことがあるが同級生たちは大韓民国を知らなかったし大韓民国に皇族があるということさえ知らなかった。決定的に李玖の国について興味を持たなかった。


李玖は日本で生まれたしお母さんは日本の皇族でありお父さんは韓国の皇族だが二次世界大戦が終わると日本と韓国すべてが彼を自国民として受け入れることを拒否した。彼はアメリカで勉強したかったしランボーのように船に乗りたかったが国籍がなかったし旅券もなかった。李承晩は李玖に皇族に成りすまさないという条件で旅券を渡すと言った。李玖は皇族成りすましたことがないのにどうして皇族に成りすまさないと要求されるのか理解できなかったが、李玖のお父さんである英親王、李垠は頭に切って李承晩の金玉を蹴とばしてやるといった。李玖は仕方なく銀座の裏道で旅券を偽造して両親には宮内庁の協力を受けて旅券を作ったと嘘をついた。



李玖は1950年横浜でアメリカ行き船舶ゼネラル・ゴールデン号に乗った。友達であるヒロアキと共にサンフランシスコ港にたどり着いたしケンタッキー州ケンタッキー州のダンビル市に住み着いた。李玖一行を助けた米軍司令部ボーイスカウト本部長であるフィッシャーは李玖にあなたもジャパニーズかと訪ねた。李玖はしばらく躊躇ってから自分は大韓民国の皇族だと小さい声で答えた。フィッシャーは聞き分けることができなかった。


実際李玖は自分が韓国人なのか日本人なのかについて興味がなかった。彼は十九であったしまさに国籍など関係ない時代が訪れていた。李玖は詩を書きたかった。彼はレストランで働きながらディラン・トマスのアメリカ朗読の巡演を付きまとった。朗読会に東洋人は李玖一人だけだった。詩には国籍がないでしょう。李玖が話した。しかしフィッシャーは馬鹿な考えだと首を横に振ったしヒロアキもまた首を振った。父さんは電報に悪口を書いて送った。李玖は以後誰にも詩を書いていると言わなかった。代わりに彼は建築を勉強した。1950年代には全世界が新しい国と新しい社会を作るために浮き立っている時期であり、そこが資本主義国家でも共産主義国家でも全部新しい建物を立てて新しい橋をかけて新しい家を作った。だから君は建築をするのがよいだろう、とフィッシャーが言った。

建築か。


李玖はふとすべてのことがうまく進むような気持に駆られた。建築は土地の上に詩を作ることです。李玖はル・コルビュジェの言葉を呪いを唱えたしMIT工科大学を卒業した後イオ・ミン・ペイのニューヨーク建築事務室に入った。ニューヨークは騒がしくて派手な都市だったが路地どこであもビート族が溢れたし建築家を歓待してくれた。イオ・ミン・ペイの事務室はマンハッタンにあったし李玖の家はホワイト・プレインズにあった。李玖の家を探してくれたジーン・ダーニー(Jean Darney)はボクシング系の有名人の中でシュガー・レイ・ロビンソンを知らないとアメリカ合衆国を分からないものです、と言いながら李玖をボクシングのスタジアムに連れて行ったりした。ジーン・ダーニーは女を軟派する方法も教えてくれた。恋愛というのはボクシングと変わらないです。ボクシングは力で行うものではありません。スピードでもありません。ボクシングは領域の争いです。同じように女に会う時にも彼女をあなたの領域に連れて行かなければなりません。彼女がよく知っている食堂、よく知っている劇場、よく知っている通りには行かないでください。あなたの区域であなたがよく知っている人々とあなたがよく知っていることが行われている所ででデートをしなければなりません。心に刻んでおきなさい。恋愛は領域の争いなんです。


李玖は同じ事務室で働いているウクライナ娘ジュリア・マロックを連れてギンズバーグの朗読会に行ったし家に帰る時に建築は土地の上に詩を作ることだと思います。という言葉で歓心を買った後、私は大韓民国の皇族です、という言葉で彼女を笑わせた。一年後、李玖とジュリアはジーン・ダーニーを証人を立ててブルックリンの聖堂で素朴な結婚式をあげたしハワイに新婚旅行に出発した。

私は朴吉龍龍の『韓国現代建築の遺伝子』(2005)を通じて李玖の名前を初めて接した。『韓国建築の遺伝子』は『空間』400号を記念して企画された'韓国現代建築評伝'を単行本で発行されたもので朴吉龍は1963年に刊行された『建築』に載せられた「帰国中である李玖さんの会見記」の一部を引用した。"都市建築はより合理的で経済的に設計したほうが良くて必要ない装飾の費用を節約しながらも美しさを追求しなければならない。オンドルは経済的で住みやすいけれども改良する点は建具の隙間が多くて冬になると風が多く入ってくる。寒さが心配なので二重窓構造が必要だ。"朴吉龍は李玖が朝鮮王朝の後裔でありイオ・ミン・ペイの事務室出身である人材だと短く書いた。





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