brunch
매거진 K문학

トンヨン(統営)

통영-반수연

by 이은주

통영

単行本: 240ページ

出版社: ガン

著者:バン・スヨン

ISBN: 9788982182792

発売日: 2021/06/15


[著者プロフィール]

慶尚南道の統営(トンヨン)で生まれた。1998年カナダ·バンクーバーへ移民した。2005年短編小説『メモリアルガーデン』が当選し、作品活動を開始した。2014年、2015年、2018年に在外同胞文学賞を受賞した。2020年には短編小説「ヘソンの家」で在外同胞文学賞大賞を受賞した。初の小説集『統営』を書いた。


[目次]

メモリアル·ガーデン

ヘソンの家

ナイフ·ボックス

鹿が森へ

トンヨン

国境の森

ジャイブを踊る夜

作品解説

逃げることによって帰ってくる/ イ·チョルジュ

作家の言葉


[本の紹介]

トンヨンで生まれ育ったバン・スヨンは1998年カナダ·バンクーバーへ移民する。2005年希薄な母語の空気の中で書いた短編「メモリアルガーデン」が「朝鮮日報」新春文芸に当選し、作家の道を歩む。『トンヨン』はそうやって不慣れな異国で書いた7編の短編をまとめた初の小説集だ。バン・スヨンの小説で移民は生に対する根源的メタファーだ。彼女の文章は強烈に夢見て、失敗し、否定しながら彷徨した後には結局、夢が残して行った席に戻ってしまう人間の長い運命を語る。夢見る人生の一つの原型を、耐え忍ぶ人生の避けられない本質を移民者たちの形を借りて落ち着いた文書と省察的な文章で築造する。


実際に経験しなければ捉えにくい具体性が小説集の様々な所に載っている。特に移民の晩年を扱っている『メモリアルガーデン』と『ヘソンの家』は夢と現実の間隙が鮮明に表れる生の黄昏を誰も避けて通れない消滅と死の影を倍音のようにしきつめ、節制された文章と安定した呼吸で表現した作品だ。


「トンヨン、私の全作品がそこに向かっていた。」


『トンヨン』の人物たちは自らの真実から精一杯逃げることで戻ってくる。 「傷つけた人と場所から離れるのは完璧な解答のようだった」(「鹿の森へ」)とし、「本当の失敗を避けるために意図的な挫折を選択」(「ナイフ・ボックス」)することで敗北の時間を最大限遅らせ、遅延させようと思う。『トンヨン』の中の多くの島流しと迂回、忘却と羞恥の時間はそのことがどうやって一つの欲望と傷が自分たちに最も重要な生の動力であると同時に理由だったのかを理解する時間だし、それを受け入れるための納得とあきらめ、収容と省察の時間だ。


『鹿の森へ』と『ナイフ・ボックス』の人物たちは失敗を恐れて長い間忘れていた創作への熱望、渇きと再び向き合う。現実の破局から逃れるために選んだアメリカで死んだ画家のアトリエを片付けることを引き受けることになった『鹿の森へ』の語り手は死者の物の間から自分の渇望を再発見し、古い心の底を踏み締めて立ち上がる。登壇してから10年後、カナダに移民した『ナイフボックス』のミョンヒは子供たちを皆大学に行かせた後、ようやく文書を書く時間を得ることになるが、逃げるように料理学校に登録してしまう。料理実習の最終日、ミョンヒは「ナイフ・ボックス」に入っている数多くの道具、たくさんの言い訳を寄付受付に置いたまま退いた最初の場所に戻る。安全な失敗に頼りに本当の失敗から逃げようとしたが、そのすべてのことを通じて自分の心を改めて確認し、最初の熱望で決然とした一歩を踏み出すのだ。


[著者の言葉]

「移民してきてわずか1年になると、二番目の子どもを出産した。その子が百日になった頃通帳の残高はもちろん魂まで引き寄せて食堂を開いた。夫は生まれて初めてキッチンで西洋料理をし、私は赤ん坊を他人の手に預けて食堂に出た。下手な英語を使いホールで食べ物を運んだ。夜明けから晩まで働いたが店は毎日つぶれていった。このままでは子供たちと一緒に異国の道で身を落すのではないかと怖かった。待つのは苦役だった。客を待たないためレジの下に韓国小説を開き、頭を下げて読み始めた。来ない客は来ない未来のように途方に暮れていたが、客が来なければ来ないほど本は面白かった。客が食堂の中に入ってきて私の前に立っていることも知らず、読むことに没頭する時もあった。そういうことを何と言えばいいのだろうか。回避というべきか、逃亡というべきか、慰めと呼ぶべきか。それを「祈り」と呼んではいけないのか。私の小説はそこから始まった。故郷が嫌いだった。分別がついてからは故郷を離れることだけが夢だった。望みとおりに地球の反対側に定着し、23年の時間が流れた。しかしこれはまた何か。過ぎ去った時間を振り返ってみると私は毎日故郷に帰りたかった。もしかしたらとっくにそちらの方に歩いて行っていたのかもしれない。トンヨン。私のすべての作品がそこを向いているという話を聞いた日、私はノートパソコンの上に顔をうずめて少し泣いた。そこが私の故郷でなかったら私は小説など書けなかっただろう」


[推薦評]


北米ははるかに遠く、大きく、いくら長く生きても見慣れなくて疲れている。一生を聞いてもまた問われることになる陳腐な質問が、ここだけはチューリップの新芽のように弱くて切実で鮮明だ。私は今ここで何をしているんだろう。世の中が自分のもののような時は決して気にならない質問だ。自分が自分の生活の客体に転落していく凄惨をきちんと目撃することになるのも遠くて見慣れないところなのでより一層そうだ。遠くて見慣れない所であるほど人生の境界はむしろはっきりしてくるのだから。しかし果たしてどれくらい遠くて見慣れないのか。その米国は韓国と故郷であるトンヨンと私という個人的な存在の範囲と本質的にどれだけ違っているか。機敏な作家の「遠くて慣れない」戦略で私たちの悲しい実存が喚起されただけでそこがどこであれ私たちが踏みしめた場所が孤独の中心であり最前線だ。とても前の姿であることができなかったのか。歳月の墨痕が耳元の髪を風になびかせながらもう帰ってきて故郷の沖合に立った姉の善良な横顔が浮び上がってこの小説を喉がつまるように読む。

ク·ヒョソ(小説家)


作家バン·スヨンの故郷はトンヨンだ。江口岸(カングアン)と海底トンネル、丘の上の町に迷路のような狭い路地があるところ。彼女の現在住んでいるところはカナダのバンクーバーだ。時には熊が出没するという、空を突く針葉樹林と海のような湖畔、巨大な雪山が近くにある所。彼女はSNSにたまに沈む太平洋沿岸や2日間運転して駆けつけたロッキー山脈の壮大な山々を撮って掲載する。五時間以上運転して行くと道が遮断される島のようなこの国で眺める彼女の長い旅程がとてもうらやましかった。だが彼女の小説を読んで分かるようになった。数日の長い旅程はまだ終わっていない故郷トンヨンからの逃亡ということを、いや統営に向かって走る深くしみる懐かしさの疾走ということを。この矛盾した欲望の足跡を彼女はクモの巣のように繊細な母国語で製織しながら寂しさと恋しさを慰めていたということを。境界人の指紋のような小説だった。

キム·イジョン(小説家)

keyword
매거진의 이전글東京因縁 目次