brunch
매거진 K문학

自然史博物館

자연사박물관-이수경

by 이은주

自然史博物館

単行本: 216ページ
出版社: ガン
著者:イ·スギョン
ISBN: 9788982182587
発売日: 2020/05/28

[著者プロフィール]
イ·スギョン
本籍地は大邱で坡州基地村付近で生まれた。仁川と議政府で育った。 故宮近くの美しい学校に通って初めて詩を書いた。2016年東亜日報新春文芸に短編小説「自然史博物館」が当選して作品活動を始めた。2019年大山創作基金を受けた。ネット言論『民衆の音』に文学コラム「イ·スギョンの人生と文学」を連載している。

[目次]

自然史博物館
クラウン工場労働者の家族
人生物語
ノーブル カウンティー
ゴッホの光
ジェイ
カティクラン 村中が光でつながった
作品解説 / 21世紀の労働
家族生存記 / キム·ヨンチャン
作家の話

[レビュー]
2016年、東亜日報新春文芸に短編小説「自然史博物館」で登壇したイ・スギョンの初の小説集。『自然史博物館』は21世紀韓国を生きるある労働者家族の不安な生存の年代記だ。ここには大学卒業後、労働現場に身を投げた学生の民主化運動の後日談がある。厳しい労働者の現実を改善するために戦う労働活動家の闘争があって夫を支持しながらも家族の安全と生存を心配しながらも途方に暮れて、果てしない生計を立てなければならない労働者妻の不安がある。一時は革命を夢見た彼らに今残っているのは忠実な奴隷としての人生と果てしない生計の不安だけだ。未来は見えない。

『自然史博物館』は長い間の期間にわたったこの夫婦の苦しい生活のいきさつを7編の短編にぎっしりと描いている。ある労働者家族が直面した現実を中心に短編が連作の鎖を構築していくという点で、『自然史博物館』の世界はチョ·セヒの『こびとが打ち上げた小さなボール』を連想させる。もちろん両者に置かれた何と40年余りの格差は小さくない。 世界は進化したし生活条件も大きく変わった。しかし貧困は相変らず継承されており、工場労働者が抱え込まなければならない苛酷さもその時から大きく変わっていない。その廃資材工場で働いていた外国人労働者であるアブルは粉砕機に手が粉砕されて補償も受けられず解雇された後、粉砕機に首をつった(「ゴッホの光」)。その事件に刺激されて労働組合を作ってストライキを敢行した工場労働者は会社で雇用した業者の暴力に踏みにじられる。夫は巨額の損害賠償請求とともに告訴、告発まで当てられたまま解雇されて追い出されたあげく工場の煙突を上る。(「ゴッホの光」、「クラウン工場労働者の家族」)
"工場は誰のものなのか"を問い続けながらも忠実な'工場の奴隷'である'ジェイ'として生きていかなければならない人生、勝ち目のない戦いと墜落を繰り返しながら"人生は残酷すぎる"(『自然史博物館』)と嘆かざるを得ない人生。だから自分を"闇に閉ざされたネズミ"(『自然史博物館』)と同一視する人生。それが『自然史博物館』の労働者が置かれている惨めな現実だ。ユートピアを熱望して労働解放を夢見た過去をもう絶望的に後悔する'私'の言語は骨身にしみる。ついに彼女は話す。"希望もなく喜びも消えた。"(「ゴッホの光」)

作家は鋼鉄のような信念も、未来に対する希望もいつの間にか失ったままただ一日一日をかろうじて耐えているこの労働者/労働活動家夫婦の実状をいかなる装飾や自己合理化もなしに淡々ととして冷静に解剖する。その中心には小説集全体の実質的な主人公といえる'私'という妻の簡単ではない心理的な風景のディテールがある。 彼女はこれ以上夫とセックスはしないが恋愛が好きで一人で恋愛小説を書いており、幼い時にタバコを吸いすぎて肺が壊れており、たびたび突然である怒りを放って常に疲れている。彼女は誰なのか。彼女は大学時代、学生運動をして今の夫に出会い一緒に労働運動に身を投げたが、その後労働団体を離れて非正規職として働きながら労働運動家の妻として生き労働運動家の妻として生きていく人物だ。見込みのない闘いを続ける夫と共に暮らさなければならない世の中は"何かできると夢を見ているうちに誰かはふらついて、転向し、残った何人かは道や煙突の上に身を投げてしまうような世界だ。"(「クラウン工場労働者家族」)家族の安全と生存に対する激しい不安の中で'私'は"私を威嚇するのは何なのか。夫なのか、ジェイなのか。または疲れた隣人なのか、工場なのか。"と自問する。しかし'私'はこれらすべての本当の原因を知っている。突然起こる怒りと偏執症的な執着が不安と恐怖を静めるための自らの必死であることも。

作家はこのように不安に苦しむ'私'の分裂的な心の地図を通じて学生運動出身の労働活動家の妻という人物の形から連想される見慣れたイメージを解体して労働家族が置かれている現実をより一層ドラマチックに浮き彫りにする。'私'の心理的な風景を一層立体的に作るのはこの小説集の真ん中にある父の話だ。お母さんを自殺に追い込み、幼い'私'を貧しさと暴力の恐怖に震わせた酔っぱらいのお父さんの生き方を追跡する'私'の回顧的な探求はたとえつらくて怖くても、今の生の苦痛を肯定し、耐えようとする意志と不可分に結びついている。不幸な傷を避けられない一部として抱え込もうとする自己肯定の試みなのだ。まさにそのような理由で、私たちは今後もこの善なる労働家族が彼らの厳しい戦いを簡単に諦めないだろうと予想できるのだ。

傷を回顧し、抱きしめながら繰り広げられる'私'のすべての心のドラマは「人生物語」から小説を書く動力につながる。'小説を書くk先生'はこれをすでに予感していた。

一時小説書くk先生は彼女にこういう話をした。"君の親父の泥沼のような人生が君には宝石のようだろう。"鶏龍山(ケリョンサン)洞窟で修業に励んだといううわさがあるけれど、まったく理解できない言葉だった。(……) k先生の門下で数年間文章の勉強をしながら彼女はいつのまにか父を晩冬に飛んできた蝶々のように軟弱で可愛そうな子供、この人生の竜巻にどうしようもなく巻き込まなければならなかった本来はかなり優しい青年で感じていたのだから宝石とまではいかなくてもk先生のその言葉は間違っていなかったようだ。(「人生の話」、75ページ)

k先生の予言のようにおそらく彼女/'私'は「宝石のような」小説を書くことになるだろう。初めての小説集を出した作家イ・スギョンの以後の小説をより一層期待できる理由だ。
자연사박물관
- http://naver.me/FdscRt1U



keyword
매거진의 이전글みず・え・はは