4年間、学習誌教師をしながら翻訳した『ウラ読みドストエフスキー』がヨルリンチェクトゥル(The Open Books Co.)から出た時は日本大学芸術学部の入学時にした自分との約束を守った気がした。数多くの職を転々とした。病院に入院していた弟の子どもたちの世話をすることが職業選択の基準になった。生活のために2ジョブ、3ジョブをしたが、文学に対するアンテナだけは消えていない。藤谷治の『船に乗れ』3巻を仁川国際空港の免税店に勤めながら翻訳し、「必ずしも文芸誌にデビューしなくても文章を書けばいい」と思った。 甥や姪を育てながら我を忘れて生きている間に亡くなった祖母のことが思い出された。働くお母さんの代わりに自分を育ててくれたおばあさんが亡くなり、十分に悲しむ時間を持てなかったことに気付いた。療養保護士の資格を取得した後、祖母を哀悼する時間を持った。人の世話をすることが、または分かち合いについて深く探求するのが文学ではないのかと思うようになった。療養保護士をしながら経験したことと感じたことをまとめて『私は神々の療養保護士です』(ヘルツナイン、2019)を出版した。