白髪に翻して、60歳以降のフェミニズム
흰머리 휘날리며,예순 이후의 페미니즘
白髪に翻して、60歳以降のフェミニズム
흰머리 휘날리며, 예순 이후 페미니즘
単行本: 316ページ
出版社: ギョヤンイン
著者:キム·ヨンオク
ISBN: 979-11-87064-66-4
発売日: 2021/6/11
[著者プロフィール]
キム·ヨンオク
60代半ばに入ったフェミニスト研究活動家。哲学と美学を学び、フェミニズムと人権を修練した。勉強と修練過程ずっと言語の表現できない魔力と表現されるべき政治力に魅せられた。ここ数年間、心と体で老いていくことに没頭している。
50代がすべて終わっても'人生'という単語が嫌いで、'生'という単語が好きだった。人生では「生きる」という動詞の動きを感じ、生きていくうちに生み出す変化が描かれた。反面、人生は本棚に並べてある、閉じられた本のようだった。その中では、ためらいも、前に進んで後退する試行錯誤も、事前に予測された運命の一列配置のようだった。「女の一生」という言葉が連想されるのもいやだった。 そうするうちに60代になって「人生」という単語が開かれ始めた。今回はむしろ「生」が乾燥したように感じられた反面、「人生」には水気が感じられ始めた。峠ではなく曲がり角で、分かるような分からないような妙な表情を浮かべたまま隠れている秘密めいた人生の星々にまた会いたい。
主な著書に『老年は美しい:新しい美の誕生』、『イメージフェミニズム』、『夜明け三時の体たちへ』(共著)、『コロナ時代のフェミニズム』(共著)がある。
[目次]
前書き
第1部 変化する体、欲望する自我
ウェルカム·トゥ·更年期 - 更年期と共に生きる
「バッカス・レディ」が必要ですか? - ジェンダー - 階級 - 年齢の政治学
物心つかない男たち - キム·フンとイム·グォンテクの『化粧/火葬)』
皆に快楽を許せ - 老年のエロス
思う存分踊る体 - すべての体はリズムだ。
認知症という恐怖 - 認知症の人にも「言葉」と「生」がある
その場で老年が'住んで'いる - 誰のための老人療養施設なのか
第2部 「年を取ることに対する別の想像」
思母曲- 娘が母に捧げます
愛する人が死にかける時 - 映画 『愛、アムール』が問うもの
老年の声を聞く - 「アンチエイジング」という残酷な楽観越しの「老人」の賢明な悲観
私の中のおばあちゃんたち- やなぎみわの「うちのおばあちゃんたち」
100歳時代の「老人たち」-「ノラノ」と「キム·ヒョンソク」を眺める視線
「お母さんの名前」で政治するおばあちゃんたち
時間の踊り - 「死にゆく」人の尊厳
エピローグ 時間と遊ぶ体の物語
注釈
[レビュー]
「シワが増えるほど、私の人生は豊かになる」
フェミニストの目で見た老年の時間
メディアに描かれる老年は、文字通り両極端だ。庭のある家でのんびり時間を過ごし微笑む高齢の夫婦、生涯初めてのファッションモデルやユーチューバー同じことに挑戦する素晴らしい老年の姿は引退後の生活の希望編だ。痩せこけた体で紙屑を拾って生計を維持する老年、認知症や病気にかかって療養施設や小部屋で孤独死する老年は誰も望まない絶望編であろう。超高齢社会に備えて、社会的にいろいろな老後対策が登場している。しかし、どんな計画でも年を取るということと死に対する恐怖と社会的な孤立感と疎外感を防ぐことはできない。老年期のための心の準備はどのようにしなければならないだろうか?この本で著者は、老人福祉や心理学の次元ではなく、フェミニズムという新しい観点から老年をより繊細に、奥深く覗いて見る。著者に老年期は人生を整理し、消滅を待つ冷たい闇の時間ではなく、まだ生きていることを確認し、また、他の成長のために努力する暖かい光の時間である。
* * *
性差別と年齢差別、差別の交差性、その真ん中で叫ぶ解放のジェンダー政治学。この本は、著者が体験したことと詩、小説、映画、写真、ダンス公演、実在の人物など、さまざまなテキストを素材にして私たちの時代の老年生活を省察する特別な社会文化批評だ。この過程で「ワンギョン(閉経)」という言葉とはすべて表現できない更年期の意味は、老年にも続くエロス的愛、配偶者や家族の死に対する態度、「認知症」を対する新しい見解まで年を取ることのあらゆる話が時には痛く、時には愉快に繰り広げられる。例えば舞台の上で、または下で楽しく踊る年よりの女性の姿で、若さと美しさを強調するジェンダー慣習をぶち壊す解放の勢いを感じる。母を亡くした喪失の苦痛を味わって哀悼を通した連帯の可能性を悟る。家庭と老人介護施設で女性に負かされるケア労働の問題を容赦なく表す。老年にも「どのように生きるか」という悩みは続くほかない。この本は、その旅程を準備するのに良い道案内になるだろう。
「私の人生の理解や自己のアイデンティティ理解は2016年以前と以後に分けられる。そうでなくても同じ年配より'傾く体'を経験し始めた私は4ヶ月ほど三つの病院で異なる病棟で過ごした時間は取り返しのつかない転換点となった。痛い体で生きるということについてもう少し深く理解するようになった、痛みに対しても以前とは違った感覚を持つようになった。 - はじめにて」
[おすすめの評]
キム·ヨンオクはキム·ヨンオクは無視と恐怖に閉じ込められている「喪失、老化、認知症、死…」を常套性から解放する。 観照と他者化ではなく、深く細密に関係を結ぶ認識で老年と女性性に対する想像力を刺激する。 具体的な体の場でぎっしりと語り回った話は、アンチエイジングや老いる方法とは関係がない。むしろ「賢明な悲観」の中で、手を握る切実さを感覚させる。かえって「賢明な悲観」の中で差し出した手を握ってもらうことを切実に感じさせる。人権活動家でありフェミニストである私は「胸が騒ぐ先輩」にしばしば願った。 この本で紹介される「私の中のおばあちゃんたち」はま真似するのではなく創造的な「互いに似ること」を試み、今までとは「違う話」で状況を覆そうとする。介護と依存が人生の根本であることを喚起し、この価値を時代精神に運ぶ「胸をときめかせる先輩たち」だ。様々な読者がそれぞれおばあさんに会って人々の「仲」を組織して「互いに応答」しながら一緒に踊れることを願う。
-リュ·ウンスク(人権研究所「チャン」研究活動家、『人を擁護せよ』著者)
キム·ヨンオクの文章を読みながら、長く泣いたある朝を覚えている。 早発性痴呆を主な症状とする難病を診断された友人の知らせに動揺した時だった。その文章は述べていた。病を診断されたその後も人生がある、それも人生だ、人生でありうる。閉じられる可能性のリストだけで主に語られる時間を、鋭い知性と愛情のこもった探求で向き合い、そこで他の可能性の時間を引き上げる。こうしたキム·ヨンオクの思想は恐怖を和らげるが、それでいても「それが人生であり得る」社会的条件を念入りに問うので自己欺瞞色や舌の先で言いいくるめることはしない。先に探検に出た人が草むらをかき分けて雑草を踏みながら難しく出した小さな道のような文章。先に探検に出た人が草むらをかき分けて雑草を踏みながら苦労しながら出した小さな道のような文章、この大切な足跡をゆっくり見てみようと勧めたい。"あ、その朝の素的な文章もついにここにのせられたという話を付け加えておく。"
-メイ(翻訳家 『夜明け三時の体たちへ』 著者)
他の社会的な矛盾と違って、年取ることは不可逆的な経験だ。私たちは自分の体を年齢ごとに受け入れることは難しく、他人の体を理解することはできない。それで年を取ることに関する文章は大きな勉強になる。 長い間、肉体的な痛みに苦しめられ、愛する人たちの死を信じることができなかった私にこの本は平和を許してくれた。著者が与える慰労と安全感の前で武装解除されるのは私だけではない。『白髪に翻して、60歳以降のフェミニズム』はこの時代に次第に消えていく「フェミニスト知識人」の文章を書く任務が何なのかを見せる力作だ。著者の知性と省察は我々を救う。ずっとそばに置いておきたい本だ。
-チョン·ヒジン(『フェミニズムの挑戦』著者)