『天路歴程』の人々と、巡礼の道を歩きながら
この本について
私は自然科学を学ぶ者であり、同時に信仰をもって生きています。
かつて私は、リチャード・ドーキンスの文章力に強く心を引かれました。
神を否定する立場ではなく、動物行動学を語るその知的な説得力に、
一時は自分の信仰さえ揺らいだほどでした。
そのような内的葛藤の中で、私はジョン・バニヤンの
『天路歴程』と出会いました。
その巡礼の物語を通して、私はドーキンスという存在を、
理性に忠実でありながらも限界をもつ
「世俗の賢者」として捉えるようになったす。
本書は、神の存在を論争するためのものではありません。
同じ時代を生きる一人の科学者として、
また一人の巡礼者として綴った記録です。
日の出ずる東方の小さな国から、
神を否定しつつ生きる西洋の若い世代に向けて、
私は絵と言葉を通して、静かな問いを投げかけたいと思いました。
これは議論ではなく、
歩みの途中で耳を澄ますための招きなのです。
『天路歴程の人々』の筆を静かに置こうとしている今、
私は、いつの日か日本の読者の皆さまと
言葉を介して出会うその時を思い浮かべながら、
ひとり、深い静けさの中に立っています。
それは期待というよりも、
御言葉の前に立つ一人の人間として覚える、
畏れに近い感覚です。
私は、日本の読者の皆さまの前で、
夢や幻、特別な宗教的体験を語ろうとは思っておりません。
使徒パウロがダマスコへの途上で
復活の主の声を直接聞き、
異邦人へと遣わされたその召命に比べるなら、
私自身のいかなる内的体験も、
それと並べて語るに値するものではないと
感じているからです。
また、そのような体験が
誰かの信仰を代わりに支えることができるとも、
私は考えておりません。
ただ一つ、確かだと言えることがあります。
それは、今この瞬間においても、
神は私の祖国の人々だけでなく、
日本の人々をも、
何の隔たりもなく、
同じ深い愛をもって見つめておられる、
ということです。
その愛は、国境や言葉、宗教という枠を越えて、
声高に主張されることなく、
しかし確かに、
この世界のただ中で働いています。
だからこそ私は今、
いかなる主張や解釈よりも、
この一冊を誠実に完成させることに
心を注ごうとしています。
ここに記されたすべての言葉と絵が、
私自身の成果ではなく、
長い時をかけて
聖霊が私の内で静かに働いてこられた
痕跡であることを願いつつ、
その導きを信頼しています。
振り返れば、
自分の力で何でも成し遂げられると信じて
歩んできた人生の道は、
結局、行き止まりに至るほかありませんでした。
その限界の場所で、
私はようやく告白することができました。
人間の意志だけでは最後まで歩み続けることはできず、
巡礼の道は、
ただ神に依り頼むときにのみ
続いていくのだということを。
この書もまた、
その静かな告白の上に置かれています。
言葉で説得するためではなく、
体験を誇示するためでもなく、
ただ一人の巡礼者が歩んできた
小さな足跡を通して、
読む方ご自身が
それぞれの道を見いだしてくださればと、
私は願っています。
その道の果てで、
神の沈黙の奥にひそむ
やさしい呼びかけを、
どなたかが耳にされることがあるならば——
それだけで、この巡礼の記録は
すでに十分であると、
私は信じています。
著者紹介
朴 是 龍(パク・シリョン)
理学博士。韓国教員大学名誉教授。
長年、絶滅危惧種コウノトリの復元に携わり、
生命のかすかな鼓動の中に、創造主の息づかいを見つめてきた。
彼にとって科学とは、天の国をのぞくための小さな窓。
そして信仰とは、その窓から差しこむ光そのものである。
韓国ではKBS「動物の王国」監修教授として知られ、
科学者でありながら詩人の心で、自然と人間のあいだに流れる
見えざる絆を描き続けている。
著書に
『コウノトリが生きられない土地では、人も生きられない』、
『コウノトリ ― 自然に翔ぶ』、
『動物行動の物語』などがある。
今も彼の筆は、空を翔ぶコウノトリのように、
信仰と科学のあいだを旅している。
私は長い間、自然科学者としての道を歩んできた。
双眼鏡とルーペを手に、野に生きる鳥や虫を追い求め、
数値とデータの中に真理を見いだそうとしてきた。
しかし、そのすべての知識の果てで、私はひとつの深い問いに出会った。
「人間は、いったいどこから来て、どこへ行くのか。」
この問いは、学問の領域を越えて、私の人生全体を揺るがした。
その答えを求めて聖書を開いたとき、私はジョン・バニヤンの
『天路歴程(The Pilgrim’s Progress)』と出会った。
それは単なる文学作品ではなく、
人間の魂が天の都を目指して歩む旅路を描いた、
一枚の霊的な地図であった。
その道には、「クリスチャン」「忠実」「希望」「小さな信仰」といった人々が登場し、
それぞれが異なる試練と苦痛を越えて、ついには天の門の前に立つ。
彼らの歩みをたどるうちに、私は気づいた。
自分の人生もまた、その巡礼の道の上にあることを――。
コウノトリと巡礼の道
私は長年、コウノトリの研究を続けてきた。
その飛翔は、いつも私の心を震わせた。
長い翼を広げ、天へと昇っていくその姿は、
まるで神へと向かう人間の魂の象徴のように見えた。
コウノトリは毎年、遠い空を越えて故郷へ帰る。
その旅は容易ではない。
風と嵐、飢え、そして狩人――
数多の試練を耐えなければならない。
それでも、彼らは決して道を見失わない。
天の羅針盤が、その魂の奥に刻まれているからだ。
私はその飛翔の中に、「巡礼者クリスチャン」の姿を見た。
世の嵐に揺れながらも、
ついには「天の故郷」へと羽ばたいていく、
あの信仰の翼を。
だから、私の絵と文章には、しばしばコウノトリが登場する。
それは単なる鳥ではない。
――「天を目指して飛び立つ魂の象徴」なのである。
黙想の道、そして書く巡礼
この書は、『天路歴程』を新たに黙想しながら記した信仰の記録である。
私は各章ごとに、バニヤンの登場人物たちを
今日の現実の中に再び見いだした。
虚栄の市で世俗の誘惑を退ける「忠実」、
最後まで信仰を守り抜く「小さな信仰」、
そして絶望の牢獄の中でも希望を失わない巡礼者。
彼らはみな、私のすぐそばにいた。
ソウルの街角で福音を叫ぶ老長老、
全財産を売り、貧しい者と共に生きる兄弟たち、
病める身で祈り続ける信徒たち――
私はその中に、「今日のクリスチャン」を見つけた。
私は科学者でありながら、
信仰の旅路においては、いつも預言者の目を慕い求めてきた。
異言ではなく、神の御心を伝える「預言の言葉」を求めた。
この書は、そんな渇望の中で生まれたものである。
理性の言葉で信仰を解き明かし、
信仰の言葉で科学を見つめ直そうとする試み――
それが、この『天路歴程の人々』である。
沈黙の声、愛の啓示
巡礼の道は、いつも沈黙に包まれている。
祈りの時、苦しみの時、
そして神が何も答えられない静寂の中で、
私はむしろ「言葉の重み」を学んだ。
神は言葉ではなく、沈黙によって語られる方である。
荒れ狂う嵐の中でも、病の床の上でも、
その御方は私たちの心の奥底で
静かにこう語られる。
「恐れるな。
わたしはあなたと共にいる。」
その声が私の内を満たした瞬間、
私はもはや証拠を求めなかった。
信仰とは説明ではなく、信頼であることを悟ったからだ。
天を目指して完走を夢見て
この書は、全十七章にわたる巡礼の記録である。
「狭き門」から始まり、「死の川」を渡るまで――
その道は、涙と悔い改め、そして喜びと復活の旅であった。
私はこの道を歩みながら、幾度となく「コウノトリの羽ばたき」を見た。
その飛翔は私の祈りとなり、
その帰郷は私の信仰の結論となった。
死とは恐れの対象ではなく、
神の懐へと帰る旅路である。
神は決して私たちを見捨てられない。
その愛こそ、私たちの始まりであり、終わりである。
この書が、読者の皆さまの巡礼の道において、
小さな灯火となることを願う。
疲れた魂がこの文章の中でひととき休み、
天の風を感じられますように。
「主は私を緑の牧場に伏させ、
憩いの水のほとりに伴われる。」(詩篇 23:2)
2026年 春
済州 ソンイシドル巡礼の道にて
朴 是 龍(パク・シリョン)