第1章 それでも、どうすればよいのか

— 問いから始まる信仰、そして荒野への呼び声

by 박시룡

初めてイエスに出会う

私が初めてイエスを信じ始めた頃、
彼はただ、世の真理を語る偉大な教師のように思えた。

真理に渇いていた若き日、
私は聖書を開き、幼き日のイエスをたどるように読み進めた。
十二歳の少年が神殿で律法学者たちと語り合う姿は、
驚きと安らぎを同時にもたらした。

1-1The Boy Jesus Debating with the Rabbis in the Temple, (2021).jpg 絵1-1:聖門前でラビたちと対話するイエス

「やはり、偉大な人は幼いころから違うのだ。」

そのとき、私はそう思っていた。
だが信仰が深まるにつれ、その考えは粉々に砕かれた。
イエスは天才でも、聖人でも、単なる霊的指導者でもなかった。
彼こそが天から来られた神ご自身、
肉を取り、私たちの間に住まわれた方である。

彼は一時的な「偉大な人間」ではなく、
永遠に生きる神そのものだった。
私はその事実を悟るまで、
神を人間の理性の枠に閉じ込めようとしていた。

その誤解が崩れた瞬間、
信仰は頭の領域を離れ、魂の深みへと移っていった。


バニヤンの旅人、そして私

ジョン・バニヤンもまた、同じ問いを抱いていた。
彼は神の裁きの前に震える一人の旅人の幻を見て、
『天路歴程』の最初の章を書き始めた。

1-2What should I do (2023)).jpg 絵 1-2: 一人の旅人の絶叫、どうすればいいというのか?一人の男がいた。

古びた衣をまとい、背には重い荷を負い、手には一冊の本を握っていた。
その本を読み進めるほどに顔は歪み、
やがて叫んだ。

「どうすれば…私は救われるのか!」

その叫びは、人間の良心が目覚める瞬間の声だった。
人生の荷があまりにも重くなったとき、
信仰はようやく芽生える。

彼の手にあったのは聖書だった。
御言葉は稲妻のように彼を打った。

「主の日は盗人のように来る。
その日、天は大音声とともに消え去り、
諸元素は焼け溶け、地とその上のすべての業は暴かれる。」(ペテロ第二 3:10)

その言葉は彼の心臓を貫いた。
罪、偽り、偽善、そして他者を裁く言葉——
それらがすべて、彼の背の重荷となっていた。

家族は理解できなかった。

「あなた、最近どうしてしまったの?」

愛する者たちの目には、彼は狂人のように映った。
それでも彼は一人、旅に出た。
荷は重いままだったが、その重みこそが彼を巡礼の道へと押し出した。


私の彷徨、私の路地

私にも放浪の時代があった。
高校時代、絶望と空虚の中で、
「私はなぜ生まれたのか」「死んだらどこへ行くのか」
と自問していた。

貧しい家、七人兄弟、狭い部屋、坂道の路地。
その記憶はいまも心の中に残っている。

ある日、姉が密かに男性と会う姿を見てしまった。
私はそれを母に告げた。
姉は外出を禁じられた。

まもなく、姉は脳腫瘍の手術中にこの世を去った。
私はそのとき初めて「死」を実感した。
棺のそばに立ち、
自分の行いに対する罪悪感と恐怖で震えた。

そのときから——
「どうすればよいのか」という問いが
私の魂に深く刻まれた。

1-3 My Sister's Neighbour (2016).jpg 絵 1-3: 階段があった路地で、姉が母方の叔父と会う場面を私は目撃した。

信仰のはじまり

姉の死の後、私は友人の紹介で
小さなバプテスト教会を訪ねた。
アメリカ人宣教師が牧会していたその場所は、
古びていたが、真実の愛があった。

私はそこで初めてこう聞いた。

「あなたは罪人です。」

そして洗礼を受けた。
水の中から立ち上がったとき、
世界はまだ暗かったが、
私の内なる目は少しだけ変わっていた。

信仰は一瞬で完成するものではなかった。
問いと疑いの中で育っていった。

「本当にマリアは男を知らずに子を産めたのか?」

その問いは、単なる疑いではなく、
科学者としての私が越えねばならない信仰の試練だった。

だがその疑問はやがて、理解を超えた神秘へと変わった。
信仰とは、理性の終わりから芽生える花だった。


荒野での試練

イエスはバプテスマを受けられた後、荒野へと進まれた。
そこで四十日間の断食の後、悪魔の試みに遭われた。

「この石をパンに変えてみよ。」
「神殿の頂から飛び降りてみよ。」
「もし私を拝むなら、この世のすべての栄光を与えよう。」

1-4 Take the test (2023).jpg 絵 1-4: 悪魔の試練を受けるイエス

三度の試み。
そして三度、御言葉による応答があった。

「人はパンのみによって生きるのではない。」
「あなたの神を試みてはならない。」
「主なる神を拝み、ただ彼に仕えよ。」

その勝利は、御言葉の上に立ってなされた。
私はその場面を何度も思い描く。
荒野は、かつて主のものであったが、
今では、私自身の荒野でもある。


私の青春、荒野のただ中で

私の青春は、一つの荒野だった。
夢は大きかったが、現実は狭かった。
ソウルの名門大学を目指して走ったが、結果は挫折。

「信じれば与えられる。」

そう信じて祈ったが、答えは来なかった。
試験に落ち、私は神に対して心を閉ざした。

父は銀行の隣の小さな自転車預かり所で家族を養い、
母はミシンの前で夜を徹して名札を縫っていた。

ある晩、ミシンの針が母の指を貫いた。
赤いマーキュロクロームの跡が、
今も私の記憶に焼きついている。

父は次第に酒に頼るようになり、
貧しさと世間の冷たさの中で、
酒は彼の避難所であり、同時に毒でもあった。

酔った父は真夜中に家を荒らし、
私たちは恐怖の中で神の名を呼んだ。

1-5 Family of Horrors (2005).jpg 絵 1-5: 父の狂気によって、私たち家族は恐怖に苛まれなければならなかった。

絶望の影の下で

聖書は言う。

「酒に酔ってはいけません。それは放蕩だからです。
むしろ御霊に満たされなさい。」(エペソ 5:18)

この言葉は単なる道徳の戒めではない。
霊的な警告である。
私たちの心を悪しき者に明け渡すな、という神の叫びだった。

父がイエスを信じ、酒を断ったのは、
脳卒中に倒れた後のことだった。
病床で神を求め、静かにこの世を去った。

しかし酒の霊は終わらなかった。
それは弟へ、また別の家族へと移っていった。
やがて弟は自ら命を絶った。

その日、私は絶望の牢獄に閉じ込められた。
崩れた家庭、消えた愛、
残された者の悲しみの中で、私は再び叫んだ。

「どうすれば…私は救われるのか。」


巡礼のはじまり

その叫びが、私を再び主のもとへ導いた。
そして悟った。
荒野とは、捨てられた地ではなく、
神が語られる場所であるということを。

その時から、私の天路歴程が始まった。
罪の重荷を下ろす旅、
神へと向かう道、
そして真理を描こうとする旅が。

「この世に倣ってはならない。
心を新たにして変わりなさい。」(ローマ 12:2)

この御言葉はいまも、
私の最初のページの上に刻まれている。

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