真理を売らない者たち**
虚栄の市――必ず通らねばならない道
私たちは今、物質主義と過剰消費の時代を生きている。
何を身に着け、どこに住み、どれほど稼ぎ、どれだけ消費するかが
人間の価値を決めてしまう世の中。
そのような世界で信仰を守って歩むということは、
まるで 『天路歴程』 に描かれた 虚栄の市(Vanity Fair) を
通り抜けるのと同じである。
荒野を越えてきたクリスチャンとフェイスフルは、ついにその市場に到着した。
天の都に至るためには、どうしてもこの市を通らなければならなかった。
回避する道はなかった。
ただ、この市場を通過するしかなかったのである。
世俗の取引が行われる場所
虚栄の市は、世のすべての欲望が売り買いされる場所であった。
家、土地、名誉、地位、人間、肉体、魂……
さらには「人気」「フォロワー数」「影響力」にまで値札が付いていた。
二千年前、イエスさまもこの市場を通られた。
バアル・ゼブルは主を誘惑して言った。
「もし私にひれ伏すなら、このすべての栄光をあなたに与えよう。」
しかしイエスさまは答えられた。
「サタンよ、退け! 主なる神にのみ仕えよ。」
主は市場の主人となる道を選ばれなかった。
代わりに、真理の道を歩まれたのである。
「私たちは真理を求めています。」
クリスチャンとフェイスフルが市場に入ると、
四方から誘惑の声が押し寄せてきた。
「これを買えば、あなたはもっと輝きますよ!」
「みんながあなたを羨むでしょう!」
「成功しましょう! 有名になりましょう! 美しくなりましょう!」
しかし二人は静かに答えた。
「私たちは、真理を求めているのです。」
その一言は、刃物よりも鋭かった。
商人たちは怒り、すぐに市場の支配者へ彼らを告発した。
虚栄の法廷
裁判長は自分の名を
「善を憎む者」
と名乗った。
彼は怒鳴った。
「お前たちの“真理”は危険だ!
お前たちの存在そのものが、この市場の秩序を乱す!
地下牢に放り込め! 鞭打て!」
群衆の中ではささやき声が広がった。
「彼ら、何も買わなかったらしいぞ……」
「名誉も宝石も王冠も、全部断ったって……」
「ただ市場を通り過ぎただけで、世界が揺らぐかもしれないってさ……」
フェイスフルの殉教
フェイスフルはついに裁判の犠牲となった。
彼は冷たい斜面の木に吊るされ、殉教した。
吹雪の中でもその顔は穏やかであった。
彼の最後の一言はこうだった。
「私は何ひとつ買わなかった。ただ、真理だけを得た。」
その血が大地に染み込むと、
多くの巡礼者たちの心に、真理の種が芽生え始めた。
クリスチャンもホープフルも、その光景を胸に刻んだ。
虚栄の市で、姉のことを思う
私はフェイスフルを思いながら、姉のことを思い出した。
姉はかつて世の市場のただ中に生きていたが、
その場所でイエスに出会い、真理のいのちの水を受けた。
彼女はもう虚栄の水を飲むことはなかった。
その唇に残されたのは、ただ一言。
「イエスさま、私の霊をお受けください。」
その告白は、私の信仰を再び立ち上がらせる響きとなった。
法廷に立たされたコウノトリ
ある日、私もまた虚栄の法廷に立つことになった。
罪名は「国有地無断使用」。
コウノトリを養っていた小さな飼育舎が罪とされたのだ。
弁償金一億ウォン。
それがこの国の判決だった。
しかし私は知っていた。
その裁判はコウノトリの問題ではない。
真理の働きを止めようとする、
もうひとつのアボリュオンの攻撃であることを。
いのちが育つと、欲望も育つ
かつて誰も関心を示さなかったコウノトリの復元事業。
いのちが育つと、欲望も頭をもたげた。
名誉、権力、利権が渦巻き、
「神の働き」は「人の取引」へと変質した。
私は心の奥で悟った。
「神の働きとは誇りの道具ではなく、
涙で仕える使命の場である。」
だから私は争わなかった。
その代わり祈った。
「主よ、真理を買い取り、たとえ代価を払っても売り渡さぬ者としてください。」
祈りの道
姉は生涯、母を世話し、
痛みの中でも感謝を忘れずに生きた。
彼女の信仰は言葉ではなく、生活そのものだった。
そのとき、私は使徒行伝のステパノの最後の場面を思い浮かべた。
「主イエスよ、私の霊をお受けください。」(使徒7:59)
今日の“フェイスフル”に出会う
ある巡礼の途中で、私は一人の長老に出会った。
九十歳に近いその人は、
虚栄の市に現れた“フェイスフル”のように真理を叫んでいた。
「まもなく世の終わりが来る! イエスを信じなさい!」
彼の声は都会の雑音の中で異質だったが、
なぜか懐かしく響いた。
彼は若い頃、聖書を読み、深い恐れに捕らえられたという。
神の裁きが近いことを悟り、
『天路歴程』のフェイスフルのように虚栄の街へ飛び出した。
教会では彼を狂人扱いした。
牧師でさえ心配して言った。
「兄弟、もう精神科に行ってみてはどうですか。」
しかし彼は止まらなかった。
彼の目には、世の虚栄よりも、
神の裁きの現実の方が遥かに真実だったのだ。
多くの教会から証しの説教を頼まれると、
壇上に立った彼は第一声でこう言った。
「皆さん! 私には、牧師を含め、
この場に天国へ行ける人が一人も見えません。」
礼拝堂は一瞬でざわめいた。
しかしその言葉は、虚栄の市を揺るがしたフェイスフルの叫びのように、
偽りの信仰を砕く、天からの警鐘だった。
彼は教会の金、名誉、権力、腐敗を隠さなかった。
棘のような言葉であっても、その棘は愛だった。
かつて彼は事業家だったが、
自分の財産すべてを「十字架宣教会」という共同体に献げた。
そこには酒と薬物中毒者、前科者たちが共に暮らしていた。
彼らは土を耕し、賛美し、
真理の中で回復していった。
長老は静かに言った。
「私は真理を売りませんでした。」
その眼差しは澄んでおり、
その生き方はまさに“フェイスフル”だった。
「最も小さな者にしたことは、すなわち私にしたのである。」(マタイ25:40)
この長老こそ、現代のフェイスフルであった。
真理は隠されることはあっても、決して消えない。
世の光がすべて消えたあとにも残る、神の光だからである。
私はいま、虚栄の市を去る
私はもはや、世の前で何かを証明しようとは思わない。
コウノトリ復元の教授という名も、
誉れも捨てた。
今はただ、主の前でこう告白する。
「無名のようで有名、
貧しいようで多くの人を富ませ、
何も持たぬようで、すべてを持っている。」(Ⅱコリント6:9–10)
私はその御言葉を胸に、
静かに虚栄の市を後にする。
そしてその先で、
いのちの主であるイエス・キリストに出会うだろう。
巡礼者の祈り
「主よ、虚栄の市のただ中にあっても
真理を売らない信仰をお与えください。
世の名誉よりも主の御名を選ばせ、
不当な扱いの中でも福音を恥じることのない者としてください。
主よ、真理を買い取り、決して売ることのない者としてください。
主イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン。」