『緑と赤』(빨강과 초록)과『想像の共同体』(상상의 공동체)
홋카이도대학 다이버시티/인클루션 추진본부(Office of Diversity, Equity, and Inclusion)라는 곳에서 도서 전시 기획한다고 도서 모집.
주제는 1. 젠더 섹슈얼리티, 2. DEI(Diversity, Equity, Inclusion포괄성), 3. 차별/bias/편견을 인식, 4. '살아가는 방식'을 모색.
https://www.dei.hokudai.ac.jp/archives/20942/
그래서 <초록과 빨강>이라는 책을 추천했는데 또 다른 거 해도 되길래 이어서 <상상의 공동체>하고 그만뒀다. 후자는 솔직히 잘 모르지만 대강...써 봄.
이하, 추천문.
一生自分のことを「(純)日本人」だと思ってきた、ある10代の少女が、自分が「在日」だということを知ってからの起こったことについて語られている小説です。そのことを知ったことを機にこの少女の目には、新たなことが見えてきます。この社会のmajorityである「(純)日本人」としてはわざわざ気にしなくても良い(面倒臭い)、この社会に生きているminorityのこと(経験)です。「差別」というものはわざわざと悪い意図を持って行われることではなく、ある社会のmajorityの「無知」や「鈍感さ」から自然に行われてしまうことが多いと思います。この社会(の隣人)のことを知るために、この本のような小説を読むと役に立つのでは無いかと、この本を半分ほど読んでから深く感じました。根本的には自分がmajorityだということや権力を持っていることに気づくことが大事なのかもしれません。自分がこの社会のmajorityだということ、ある程度の権力を持っていることに鈍感(無知)しすぎると、意図せず人のことを傷つけてしまったり、社会に悪影響を及ぼしてしまったりすることも起きてしまいます。自分がある面においてminorityだとしても、場合によっては、他のminorityに比べて権力を持っていることもあります。自分がminorityだとしても、場合によっては自分の鈍感さ(無知)で他のminorityを傷つけてしまうことも起きてしまうのです。みんなで一緒に支え合って暮らすこの社会の構成員として、隣の人(10代の少女)の物語に耳を傾けてはどうでしょうか。私も最後まで読んでみたいと思います。「やっちまう」ことをやめるために。
タイトルの『想像の共同体』は「民族」のことを指します。「民族」(nation)という今は当然のように、我々に染み込んでいる概念について解明するかなり有名な学術書です。「トランスナショナル」研究だったりして学会に大きな影響を及ぼしているのではないでしょうか。もともとなかったもの(あるいは今も実はないもの)を誰かが何らかの目的を持って想像して、「言語(標準語・学校)」や「教科書(学校)」、「神話(学校)」を用いて人々の頭に染み込めて民族国家を完成させたということです。一生、当然だと思っていたことだから、なかなか受け入れ難い主張かもしれませんが、学界ではすでに通説のように受け入れられているようですね。「民族」という概念をもとに、特に20世紀に、人間はしてはいけないことをしてしまいました。しかし、その加害国(民族)さえ「悪魔の『民族』」だから、人間としてしてはいけないことをしてしまったのではなく、「同じ『人間』」だからしてしまったということを認識することが、これから2度とその歴史を繰り返さないために大事なのではないかと思います。みんながある人に対して「悪魔」だと認識している中で、勇気を持ってユダヤ人であるハンナ・アレントが、「『人間』の平凡さ」だと主張したことはそういうことなのではないでしょうか。8月15日を終戦日だと呼ぶものの実は「何らかの考え方(認識)=優越な民族)をもとに」自分たちが起こしたり同調したりした戦争に負けた「敗戦日」でもある日本社会の人々も、もう半世紀も前のアレントの認識にちゃんと向き合うことが大事なのかもしれません。そのために、まず「民族」という枠組みが当然ではないことを認識することが大事なのかもしれません。それは、その日が「独立日」や「光復日」である国々の人々も同じです。自分たちもいつかは加害国(加害者)になるかもしれないということを認識するためには、日本人やドイツ人(など)のことを「悪魔の民族」のような枠組みで見るのではなく、自分たちと同じ「平凡な人間」だということにちゃんと向き合うべきだと思います。過去(歴史)を振り返って「あの民族(悪魔/奴ら)は〜」と非難だけするのではなく、「人間は恐ろしい(自分も同じ人間)」ということにしっかり認識することこそ、人類の歴史の発展のために大事なことかもしれません。そのためにこの本を踏まえて「民族」を超えてはどうでしょうか。
이 글은 개인 SNS에 2022년 8월 작성한 내용입니다.